こんにちは!株式会社スコッチの大竹です!!

私は花粉がきつい季節ですが皆さんはいかがお過ごしでしょうか?私は去年に家族でいちご狩りに出かけて子供がすごく喜んだので今年もいちご狩りに出かけました!

そこは山の上にあるので時期が合うと桜も咲いてとても良くいちご狩りの後はBBQもできるのでリピートしてきました。

娘の為にいちごを取ってあげている父親の鏡の図

いちご狩りは去年に久しぶりにいきましたがスーパーに売っているいちごとはまた違った、めちゃくちゃ甘くてびっくりしました。子供はなぜかいちごの事を【あいじー】と名付けています。

今日は今まで自分の事をあまり書いてこなかったので、他のFPが自分の事を書いていたので、流れを断ち切ったろか!と思いましたが自分の事を書いていこうと思います。

4回

この数字は何だと思いますか??

 

 

 

 

正解は私の転職回数です。

私の世代にしては多い回数だと思います。私の時代は一つの会社にずっといる事が当たり前でした。

 

始まり

大竹君は大学4回の後期までしっかり勉学に励み、無事大学を卒業する事ができました。周りを見てみると友達は前期で単位を取り終え卒業旅行の話しで持ちきりでした。彼は年下の学生に交じり懸命に単位を取る事に集中していました。

新卒で入社するのは総合商社でした。

私は大阪支社での配属で同期は東京含めて30名程いました。私が配属されたのは食品事業部。

エリアは関西と鳥取、島根などの山陰、広島などの中国地方でした。

主に食品、菓子、ワインなどの提案でした。バチバチの体育会系の会社で入社3か月後には一人で出張を組んで営業をしていました。大学の周りの友達に聞くと1年は先輩の同行をしていたみたいでした。

同じ大学出身の先輩もおられ、出張先で連絡を取り合い、合流をして夜に飲みに連れていってくれるなど面倒見の良い先輩がいたのは私の救いでした。

業務は主に会社に口座はあるが諸先輩方が周り切れていない会社のフォローでした。

アポイントの電話をかけると、【今までほったらかしといて、今さら何の電話や!がちゃんっっ!!】

がちゃ切りのお手本の様な経験を頂戴しました。えっ!周りをちらっと見ると皆さん普通に業務をされていました。

なるほど、ここをまず突破しないとあかんのだとリストのお客さんに電話をかけまくりアポイントを取っていきました。

会社の風土的に営業はお客さんの所に行って学んで来い!というスタイルだったので商品知識もそこそこにお客さんに会っていきました。

お客さんにお叱りを受ける事もあり、営業を学んでいきました。私は要領が良いタイプではないですが、ひたすら自分なりにがむしゃらに働きました。体重は5キロほど痩せていました。

当時私の部署は業績が悪く、同期で入社した新人の中で唯一年間の数字を達成する事ができ事業部長に食事に連れて行って頂きました。

ですが自分の中でこの会社で定年まで働くのは無理!となり1年で退職をしました。

今思うと社会人になりたてで学生から社会人のギャップが大きく根性もなかったのだと思います。

転職2回目

次に私が就いたのは、学生時代のバイトはずっと飲食店でホールも好きだし、調理も好きだったので好きな事で生きていく!!

今流行りのキャッチフレーズを数年前に実践する為に町場にカフェや百貨店に飲食店や喫茶を展開している会社に就職しました。

希望は町場のカフェの社員でしたが、配属されたのは阪神百貨店の喫茶でした。

そこは、ロイヤルコペンハーゲンを食器に使った、コーヒー1杯もそこそこする喫茶店でした。

客層は社長夫人やお金と時間にゆとりがある方々に対してサービスを提供する喫茶でした。

そこには女性の管理者(店長)とサブリーダーの女性(副店長)。アルバイトは全て女性という所にほりこまれました。

この条件だけ聞いて男性の皆さんはどうですか?うらやましいですか?そんな事なかったですよww

女性ばかりの職場だったのでそれなりに気は使いました。アルバイトの女の子は学生が多かったです。

店長はホテル出身の方でサービス面はめちゃくちゃ厳しかったです。

例えば、歩く時は床が木の素材だったので革靴で歩くと「コツコツ」と音が鳴るのでカカトに神経を集中させて音を鳴らさずに歩く事、ケーキも置いていたので、お客さんにケーキを出す前にショートケーキのいちごの表面のヒゲみたいな部分がケーキの表面に付いていないかチェックしてから出す!みたいな事を徹底していました。

100%無添加なO型の私からしたらとんでもない世界でした。

店長はとても細かく、仕事もバリバリにできた方だったので会社内の店舗の中でも結果を出し続けている店舗でした。

私が所属していた店舗はお昼から列をなす程な繁盛店でした。店長は厳しい事でも有名で教育された社員は辞める事もしばしばあったみたいでした。

当時の私も20代前半で若い事もあり店長とぶつかる事もしばしばありました。厳しい中にも愛情がある方だったので自分はこの人からは逃げない!とサービス面やバイトに対する接し方などを学んでいきました。

女性ばかりの職場でしたが徐々にスタッフとも打ち解けていき、スタッフ達も自分達の方が仕事ができますが社員としての私をたててくれる方たちだったので、私としてはとても仕事がやりやすかったです。

そんな日々が続き、ある程度私が育っていったので、サブリーダー候補として京都の店舗の移動が決まりました。

お世話になった店長や副店長、スタッフ達にお礼を言い私は次の店舗に移動になりました。

自分としてもある程度できるという自信がありましたが移動先の店舗は客層は若くいかに回転率を上げてやっていくかという店舗とハンディーを使って注文を取るといったスタイルだったので全く順応できませんでした。

そこの副店長とも反りが合わず結果その方と喧嘩をして辞める事になりました。

昔の事を思い出しながら書いていきましたが客観的に見ると無計画で進んでいって心配になってきましたw

次回以降に転職3回目~現在を書いていこうと思います!

本日もお読み頂きありがとうございました。

 

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